どうも、音楽好きブロガーのもちきんです。
邦ロックの歴史を自分なりに振り返ってみるシリーズの続きです。
前回の記事はこちら
今回は、1980年代〜1990年代前半を振り返ります。
1980年代
バンドブームが起きた年代。
ヒットチャートにロックバンドを見たり、当時の歌番組やCMにも露出が増え日本にロックが浸透し、大衆化した時代。
RCサクセション
デビューは70年代だが、80年代に有名になったので80年代としての紹介になる。
忌野清志郎をリーダーとし、「King of Rock」「King of Live」の称され、70年代よりあった「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼしたとされている。
BOØWY
MARIONETTE
BOØWY
ポップ
¥255
1981年に結成。
語弊を恐れずに言えば、日本におけるロックの確立をした存在だと思う。
海外の模倣ではなく、国内の歌謡曲などを取り込みオリジナリティのあるサウンドやメロディを生み出した。
「BOØWYより前か後か」で日本のロックを分けて語られるほどのインパクトを残したとされ、BOØWYの出現以降、日本ロックの主潮流は、そのルーツだったはずの英米のポップとほぼ完全に断絶してしまったと言われている。
44MAGNUM
SOULS
44MAGNUM
ロック
¥255
日本においてのヘヴィ・メタルの先駆け。
前回の記事で紹介したBOW BOWなどの活躍を経て、ハード・ロックもいよいよヘヴィ・メタル時代に入り、44MAGNUMなどの人気バンドの出現でますます盛り上がり、聖飢魔IIのような芸能メタルも登場して一気に認知が広まったとされている。
また、当時としては珍しく,メンバーが髪を派手な色に染め、化粧やカラコンなどをした印象的なルックスは後のヴィジュアル系バンドやパンクバンドにも多大な影響を与えたと言って問題ないだろう。
LAUGHIN’ NOSE
1980年代のバンドシーンは大衆化と説明したが、一方で逆、細分化が生まれたこともこの時期の特徴である。
多数の独立レーベルが生まれ、インディーズという言葉が生まれブームにもなった。
LAUGHIN’ NOSE(ラフィン・ノーズ)はTHE WILLARD、有頂天と並び、「インディーズ御三家」とも呼ばれていた。
1990年代前半
80年代後半に起きた細分化は、日本に多くのライブハウスが生まれるきっかけにもなった。
CD価格の減少や大量生産化を通じて楽器価格は相対的に安くなり、スタジオが増えたのもこの時期だ。
これらが原因でアマチュアバンドが増え、87年頃から90年頃はバンドブームは更に勢いを増したが時期が時期なだけにそれは長くは続かなかった。
バブル崩壊、平成不況である。
不況によりバンドブームはしぼんでいった。
しかし、この頃に結成されたバンドは多く、彼らは1990年代後半に名曲を多く残している。
それらは次回で紹介していきたいと思う。
次回へ続く
というわけで、今回は1980年代と1990年代前半の邦ロックを振り返った。
次回は、1990年代後半を振り返っていこうと思う。
ではでは、また次回の記事で。